11月と12月は参観月間としています。参観後にいただきましたメールをご紹介します。

・幼稚園年中のお母さまから(週2回コース)

先日は授業参観をさせていただきありがとうございました。本人も言っていましたが、かなり緊張していたようです。しかし、緊張しておとなしくなってしまった中でも、先生がSEKIDS NEWSで参観で見て頂きたいポイントとしてあげられていた「集中力」の成長を見ることができたかと思います。(日によってバラつきがあると思いますが…)

お友達が話す番の時も集中力を切らさずに聞けていたと思いますし、ナタリー先生の問いかけに何を聞いているのか、何を答えるのかをちゃんと考えている姿勢が見てとれたことが一番の成長だと思いました。
緊張で本来の力が出し切れていなかったようですが、前の参観時よりも格段に成長を感じられてよかったです。

話は変わりますが、関野先生から頂いたメールの中で、高校生が3歳から始めた英語レッスンを振り返り話に花が咲いたということを読んで、セキッズを始めたばかりの息子が懐かしくなり、2016年8月に頂いたDVDを見てまた改めて成長を実感することができました。過去を振り返ることも今の成長をより実感することができていいものですね。
息子もセキッズの先輩たちのように長く通い続けて、もっともっと成長してくれたらいいなと思っております。今後ともご指導よろしくお願い致します。

・小学4年生のお母さまから(週2回コース)

こんばんは。先日はレッスンを参観させていただきましてありがとうございました。お礼が遅くなって申し訳ありませんでした。参観させていただいた理由は2つあります。

まず、レッスンを見学したかったから。去年は子どもたちに大反対されて結局参観できませんでした。今年は同じクラスの方が見学していると聞いたので、行きやすかったのです。(お父様がいらっしゃった方、ご夫婦でいらっしゃった方がいたそうですね)
もうひとつは、セキッズニュースで参観のポイントを紹介していましたが、娘がレッスンに集中できているのか気になったからです。

レッスンは、美女と野獣のパートとその日のトピックのパート(当日は好きな本の話)に分かれているのですね。読む・聞く・話す・読むがバランスよく習得できるように工夫されているなと思いました。宿題も、後半からの流れになっているのだと分かりました。

5人が、だいたい同じくらいの頻度で発言していて、また、だいたいみんな同じくらい手を挙げていて、だいたい同じくらいのレベルで話しているようで、それはとても恵まれていると思いました(先生がいつも仰るように、もう1、2名メンバーが増えてもいいと思う場面もありました)。

生徒が発言しているとき、先生がちゃんと話を聞いてくれていること、生徒も他の生徒が発言しているのをとてもよく聞いていると思いました。我が子がどれほど集中しているかを見にいったのですが、他のお子さんも皆集中していて感心しました。学校で5、6時間授業を受けてきた後に集中するのは大変だと思うけど、よくやっているなと思いました。先生のレッスンのすばらしさと、子どもたちがどの子もしっかりしているのだと思います。娘は学校では殆ど手を挙げないのですが、セキッズでは適宜手を挙げていたのが意外でした。

〇〇さんにセキッズの事を教えてもらったとき、〇〇ちゃんがシールをもらい忘れたことを先生に英語で伝えて交渉したという話を聞いてとても驚きました。イタリアに旅行に行った時のこと、娘が歯ブラシをもらいにホテルのフロントに行って「お店で買ってください」と言われたという話をすると、驚かれます。小学生が2、3年英語を習っても話せるようにならないと思っている人が多いのでしょう。セキッズの授業を見学すると「こういうレッスンなら話せるようになるんだな」といつも思います。私もいくつか英語教室に通いましたが、「テキストのI をYou に替えて言ってみよう」みたいなレッスンでは話せるようにはなりませんね(先生は授業準備がいらない、とてもありがたいテキストでしょうが…)。

ナタリー先生も、ゆっくり話を聞いてくれて、間違っても大丈夫という雰囲気を醸し出してくれています。いつもありがとうございます。「空想科学読本」はどのように紹介されるのか、興味深いです(Manga…でもなくScience…でもないし)。

ところで、先日中学校のPTA主催の講演会に行ってきました。私立中高の校長先生のお話で「お子様を国語の達人にする方法」というキャッチーなタイトルがついていましたが、要は「本を読みましょう」「古典をはじめとしたきれいな表現の本を音読しましょう」という話でした。英語の先生だったそうですが、日本語を読んで思考力を育てないと、英語も身に付かない、といつも関野先生が仰っているようなことを話していました。80代だと仰っていましたが「今の人は本当に新聞や本を読まない」という嘆きに似た言葉には実感がこもっていました。